徒然に。イースター島&ボラボラ島旅行記がおすすめ!


by kokoro-rokuro
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ラパヌイ・コラム

個人旅行者のための海外ホテル比較予約サイト「アップルワールド」で、『世界のへそ、イースター島滞在記』なるコラムがアップされている。いい感じで、消えちゃうともったいないので、転載させていただきます。

また行きたいなぁ・・・。



●引用開始●

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~南米の孤島、イースター島の意外な素顔をレポートします。

飛行機を出ると、「ムオッ」という熱風が顔をとり巻いた。11月半ば、ここ南半球ではこれから夏を迎えるのだが、湿気を含んだ重たい空気はすでに真夏のものだった。

【 目 次 】
Vol.1 イースター島に降り立つ
Vol.2 死火山となったラノ・カウ
Vol.3 古代集落の遺跡オロンゴ
Vol.4 ラノ ララクのモアイたち
Vol.5 美味しい"サチミ"

Vol.1 イースター島に降り立つ

飛行機を出ると、「ムオッ」という熱風が顔をとり巻いた。11月半ば、ここ南半球ではこれから夏を迎えるのだが、湿気を含んだ重たい空気はすでに真夏のものだった。

今朝までチリ南部の町、プエルトモンをうろついていた。パタゴニアの玄関口というだけあって、連日雨は降るわ風は冷たいわで、顔の筋肉はこわばりっぱなしだった。それが数時間後の今、太平洋上に浮かぶトロピカルな島にいる。

1722年4月6日、オランダの提督ヤコブ・ロッゲフェ-ンはチリ海岸から約500カイリの海域にこの小さな岩島を見つけ、その日が復活祭にあたることから“イ-スタ-島”と名付けた。イ-スタ-島は現地の言葉ではラパ ヌイといい、“世界のヘソ”という意味をもっている。一番近い島まで1900キロと、地球上で最も孤立したこの島の人々は、ここが世界の中心であると長い間信じていた。

イ-スタ-島と聞いて、真っ先に思いつくのは"モアイ"である。というよりモアイ以外なにも思いつかない。正直言って僕は最近までチリ領であることすら知らなかったし、もっとひどいことにイ-スタ-島を無人島だと思いこんでいた。「謎の文明」「モアイの謎」と、やたら「謎」が付くもんだから、人間の生活の営みが無いところにいきなり遺跡だけが残っているのだと勝手に想像していたのである。がしかし周囲約60キロ、総面積165平方キロのこの小さな島にも大昔から人はいた。

島の名前と同じラパ ヌイとよばれる人々は人種としてはポリネシア系。日に焼けた褐色の肌、はっきりした目鼻立ち、ハワイ出身のお相撲さん顔である。言語もラパ ヌイという。やはりポリネシア系の言語で、タヒチなどで話されている言葉に酷似している。もちろん地元の人は全て、チリの公用語であるスペイン語も話せるバイリンガルだ。


Vol.2 死火山となったラノ・カウ

イ-スタ-島の歴史は長いが、西洋人が入りこんでからは悲しい歴史の繰り返しであったらしい。

外部文明が入りこんだことで島内は混乱を極め、度重なる内戦、病気の蔓延、侵略者による奴隷狩りの末、2000人はいた島民は一時100人程度まで激減した。イ-スタ-文明のカギを握る謎の象形文字を解読できる者は、このとき死に絶えてしまったという。

空港を出てホテル・マナバイに着いたときには、すでに夜の10時をまわっていた。ホテルの主人はラパ ヌイの血をひく草刈正雄似の男で、僕をやさしく歓迎してくれた。

久々の"島"の旅に居てもても立ってもいられなかった僕は、真夜中ではあるがちょっとその辺をぶらつきに出た。

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島内の墓地は、意外なほどに美しい


風が相当強いのだろう、道沿いには石垣が組まれ、明かりをともした家々は全て平屋建てであった。以前訪れた沖縄の西表島の風景によく似ていた。

薄暗い道を海岸目指して歩いていくと、こちらの方向になにやら向かってくる。ライトの光も無ければエンジン音もないので、車やバイクの類ではない。打ち寄せる波の音にまじって近づいてきたのは、「パカッ、パカッ、パカッ!」という馬のひずめの音だった。一瞬ひるんで石像のごとくかたまってしまった僕の傍らを、パイナップルのようなヘア-スタイルをした男を乗せた馬が疾風のごとく走り去っていった。

島では馬がフツ-に闊歩していると聞いていたが、いきなり暗闇から登場されるとビビル。しばらく呆然とパイナップルの後姿を眺めていたが、同時に何かワクワクしたものがこみ上げてきた。


イ-スタ-島は簡単にいえば三角形の形をしていて、そのおのおのの隅には火山がある。その一つ、南西部に位置するラノ・カウ火山から散策をスタ-トすることにした。

標高約300m、ホテルがある村から7~8キロの距離だ。今回は島自体がそんなに大きくないし、道も単純で迷うことも少ないだろうと判断して、独りで動き回ることにした。

交通手段はいろいろあるが、レンタカ-は高いのでバツ。バイクは運転できない。馬は以前ペル-のクスコを旅したときに初めて乗ったのだが、何度も振り落とされそうになり、強烈な恐怖体験となってるので自動的にパス。ということで自転車を借りることにした。自転車といっても日本のメ-カ-のマウンテンバイクで、かなり立派なものだ。

「おおっ、この自転車なら島を1周できるかもしれない。」
と大げさに喜んで跳び乗った。天気は良好、海岸線のダ-ト道を太平洋の風を受けながら軽快に走っていく。海は「これでもか!」というぐらいに青く、大地の緑も太陽の光でまぶしいくらいに輝いている。そんな風景をしばらく見ているとまるで島の開拓者にでもなったような気分になった。


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パレットの絵の具のような、ラノ・カウの火口

しかし、そんな幸せな時間は登りにさしかかってすぐに終了した。傾斜はさほどキツくないが10分も走っていると息があがった。
「甘かったかな・・・。」と半分後悔したがもう後戻りは出来ない。心臓はバクバクとフル回転で血液を押し出し、腿や尻の筋肉もプルプル震え、頭も半分酸欠状態でやっとこさ山頂に着いた。

自転車を停め、火口を見渡せる展望台までよじ登ると目の前に広がったのは、脳ミソがしびれるような衝撃的な光景だった。

もはや死火山となったラノ・カウの火口は、すり鉢というよりむしろタライのような地形をしており、その底の部分には無数の水たまりが広がっている。水面には、空や周りに生える植物の色が複雑に絡み合って映し出され、巨大な絵の具のパレットを造っていた。自然が作り出した完璧な芸術がそこにはあった。



Vol.3 古代集落の遺跡オロンゴ

ラノ・カウにはもう一つ見所がある。火口の縁に建つオロンゴとよばれる古代集落の遺跡だ。かつてここでは「鳥人儀礼」というものが行われていた。簡単に言えば複数の部族の人々の間で争われる「島の権力争奪戦」である。

各部族の長は自分の戦士を一人指名し、沖合いにある小さな岩島に海鳥の卵を獲りに行かせる。そしてその卵を一番早く持ち帰った戦士の長が、次の一年間「鳥人」として村人に崇められ、政治的実権をもにぎることができた。部下の手柄で上司が潤うあたりが会社的で悲しい。

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切り立った崖のオロンゴ


後でイ-スタ-島の歴史を映画化した「ラパ ヌイ」というタイトルのビデオを見たが、その中に描かれている「鳥人儀礼」は恐ろしく壮絶なものだった。オロンゴから海に出るまでの断崖絶壁から誤って転落死するものもいれば、泳いでる途中サメに喰われてしまうものもいて、絶対に参加したくない命がけのトライアスロンなのだった。

ラノ カウで恍惚の境地に浸って、いったんホテルに戻った。軽く昼食を済ませた後、いよいよモアイの散策に出かけることにする。

モアイは島全体に散らばっている。村の周辺の海岸線にも何体か立っているが、最大の見所は島の南東に位置する“ラノ ララク”だ。ここは全てのモアイを製造していた石切場で、現存するモアイの大半がある。村から約20キロ、自転車でいくにはけっこうな距離だが体力もだいぶ回復しているし、地図を見る限りアップダウンもそう激しくないように見えた。
「時間は十分あるし、ゆっくりいけば大丈夫だろう。」と、ノ-テンキに出発したのだが、この判断はおおいに間違っていた。力強く突き進んでいたのは最初の30分だけで、ギラギラとした太陽は容赦なく僕の体力を奪い、未舗装の路面の衝撃は、じわじわとジャブのように尻に効いてきた。


「これはヤバイかもしれない・・・。」と再び不安になり、頻繁に休憩をとることにした。しかし、行けども行けどもモアイ群は現れず、ただ単純な牧歌的風景が繰り返されるばかりである。たまに放牧されている牛や馬たちが唯一のアクセントだった。

「なにか珍しい動物でもいないのかな?」そういえば島に上陸してから目にした動物は馬、牛、犬ぐらいなもので、「なんだこれは?」と言いたくなるような孤島に生息しがちな珍獣はただの一匹も見ていない。

後で聞いた話だがイ-スタ-島固有の野生動物は小さなネズミぐらいで、ほとんど何もいない状態に等しいらしい。毒蛇はおろか、蛇自体存在せず、虫にいたってもゴキブリがうろうろしてるぐらいで有毒なものは皆無であるという。不思議というか、非常に平和的ではあるが、動物好きの僕にとってはかなり物足りなかった。


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目の前にそびえるラノ ララク

さらに一時間ほど走って、体中の骨がギシギシと悲鳴をあげ始めたころ、遠くの方にたくさんのハエがたかったような山肌が見えてきた。

「頼むからあれであってくれ。」祈りながら近づいていくと、ハエはどんどんモアイの顔になっていった。相当疲労は激しかったが、テレビの画面でしか見たことのないあの光景が目の前に広がると再びエネルギ-が充電されたように身体中が熱くなった。


Vol.4 ラノ ララクのモアイたち

ラノ ララクは岩でできた小高い丘で、この岩を切り出してモアイは造られたらしい。その製造目的は未だに謎で、学者によって説が異なる。「偶像だ」という人もいれば、「国王や酋長を記念するため造られた」という人もいる。

昔見たテレビでは「宇宙人の手によるものかもしれない」とワクワクするようなことをいっていた。理由は何であれ、ここでモアイが造られていたのは明らかで、横たわったまま岩からまだ切り離されていない未完成ののモアイも何体かあった。何が起こったか知らないがある日突然作業が停止してしまい、現在まで放置されたままなのだった。
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ラノ ララクのモアイたち


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なかなかの“男前”


「う~む・・・。」
高さ3メ-トルほどのモアイを間近で見上げ、意味のない唸りをあげた。よく見るとここのモアイは皆男前である。海岸線に並んでいるモアイと違って顔の輪郭といいあごのしゃくれ具合といい、デザイン的にモダンな感じがする。

最初にこの島を訪れたヨ-ロッパ人の中には、モアイを「お粗末な作品」と罵倒した者もいたらしいが、僕はそうは思わない。彫刻の技術のことはよくわからないが、デザインに関しては他に類を見ない、オリジナリティ-にあふれたものだと思うのだ。

考古学者顔でえらそうにモアイを見た後、再び自転車にまたがって気合を入れなおした。なんとしてでも村までたどり着かなくてはならない。持参した水も残り少ないので、なるべく体力を消耗しないようにゆっくり、ゆっくり進んだ。
が、5分もたたないうちに再び足が震え始めた。ヨロヨロとよろめきながらカメのようなスピ-ドで走っていると、後方から車が近づいてくるのを感じた。

サッと抜き去っていくのかと思ったが、しばらくマラソンの伴走車のように僕の後ろにぴたりとついてくる。そしておもむろに僕の隣にきて、親指で後ろを指差し、「乗れ。」とひとこといった。


Vol.5 美味しい"サチミ"

見ると車は荷台のあるトラックタイプで、自転車もろとも乗っていけるという都合のいいものだった。心の底から「助かった。」と胸をなでおろし、何度も礼を言って車に乗り込んだ。

乗っていた男二人は土建屋風で、仕事を終えて村に戻るところといった感じであった。おそらく僕の心もとない自転車のこぎぶりをしばらく観察して、「こりゃ、村に着く前にあの世に着いちまうな。」とでも思ったのだろう。やれやれといった感じで僕を乗せた彼らは終始無言であった。


滞在中、夕暮れ時になると僕はきまって港に釣りに行った。こんなこともあろうかと釣り道具一式を日本から持参してきたのだった。何が釣れるかはわからないが、太平洋のど真ん中、おびただしい数の魚がウヨウヨしていることは間違いない。

期待に胸膨らませてルア-(疑似餌)を引くと、「ググッ!」っとすぐにアタリがあった。おそらくルア-など初めて見たに違いない。「オッ、なにか変なものが泳いでるぞ!」と言わんばかりにアタックしてきた。

「何が揚がってくるんだろう?」ワクワクしながらリ-ルを巻き上げるとなにやら細長いモノが水面に姿を現わした。一瞬木の枝かと思ったが、ウネウネもがいているので生き物であることは間違いない。

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アフ タハイのモアイたち


揚げてみると口も体も管のように長く、顔だけ見ればえらくブサイクな珍魚であった。近くにいた漁師風のオジさんに「これは食えるのか?」と聞くと、「ああ、うまい魚だよ。"サチミ"で食うといい。」と言った。

"サチミ"とは"サシミ"のことである。イ-スタ-島では生魚を食う習慣があり、マグロをはじめアジやメジナなど、日本でもおなじみの魚を大昔から食していた。同じ食文化を持つ我々日本人観光客から、"サシミ"という言葉を教えてもらったらしく、外来語としてかなり普及していた。ただ、"シ"の発音が彼らには難しいらしく、どうしても"サチミ"と可愛らしくなってしまう。

ホテルに帰って台所を貸してもらい、"サチミ"を作ってみた。さて醤油も無いし、何で食おうかなと考えていると、草刈正雄似のホテルの主人が、「醤油あるよ。」といってダンディ-にキッコ-マンの醤油を持ってきた。サシミという言葉のみならず、醤油の味まで普及しているとは恐るべし日本文化。物資の不足している孤島で、醤油と再会するとはまことに驚きだった。


珍魚の味もまた驚きであった。姿の奇妙な魚ほど、その身は上品で美味しいといわれるが、この魚の身も雪のように白くもっちりとした歯ごたえがあった。なぜか草刈正雄をはじめホテルのスタッフもこの魚をサシミで食うのは初めてだったらしく、そのウマさに驚いていた。

旅の後半は、大雨に見舞われた。「この時期は夕方にスコ-ルがあるぐらいで、そんなに降らないよ。」と聞かされていた雨は、強い風とともにゴ-ゴ-と音を立てて二日間降り続いた。昨日までの照りつける太陽が一変して、南国のもう一つの顔を僕に見せつけた。1歩も外には出れず、嵐に翻弄されるパパイヤの木をただ眺めているしかなかった。


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村で出会った少女。ひとなつっこい笑みが印象的だった。

島を離れる前夜、ホテルのスタッフの一人で仲良くなったパトの家に招待された。パトは口ひげを生やした大男で、見た目はちょっと怖いが陽気でおおらかな、気持ちのいい奴だった。庭先のテラスでみやげに買ってきたピスコ酒を飲みながら、釣りの仕掛けや魚の調理法の話でおおいに盛り上がった。

「見ろ、この魚は釣るのがすごく難しいんだ。」彼はさっき釣ってきたばかりだという絵の具をぬったような全身まっ黄色の魚を台所から持ってきて、得意げに言う。

「どうやって食うんだ?」姿だけ見ればおよそウマそうには見えないその魚をどう料理するのか、僕は興味津々だった。

「トマトやたまねぎといっしょにス-プにする。」ボソリと言って、包丁を持ち出しその巨大なゴツゴツした手で、手際よく野菜や魚をカットしていった。大男のパトが細かい作業をする姿は、見ていてとてもユ-モラスである。


はたして、出来あがったス-プはこの島の歴史同様、「ウ~ム・・・」と頭を傾げたくなるような"謎"の味だった。ただ、モアイを造った一族の末裔の料理だと思うと無条件にありがたく思えてしまうのだった。

「次はいつ島に戻ってくるんだ?俺、船を持ってるから今度は一緒にマグロを釣りに行こう!」彼はでかい目をさらに大きくして言った。
「さあ、いつこれるかな・・・。」僕はピスコ酒を片手にあやふやに答えた。ちょっと飲みすぎたらしい。浜から吹いてくる夜風が心地いい。
「マグロか、いいなあ・・・。」月明かりに照らされたヤシの木を眺めながら、船で沖に出る二人の姿をぼんやりと考えていた。


●引用終了●
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by kokoro-rokuro | 2007-07-29 15:33 | ラパヌイ