モアイ復活に掛けた職人魂、再び
2007年 04月 06日
東海地方を中心に圧倒的部数を誇る中日新聞。4月5日付夕刊1面に躍る文字を見て興奮を隠せなかったモアイ族の僕です^。^;高松塚古墳解体の話のサイドストーリーに、イースター島のモアイを修復した石工職人の左野勝司さんが紹介されていました。ネットでは記事が見つからなかったので・・・・・・・・・転載します。
●引用開始●
1300年の歴史 持ち上げた
モアイも修復 職人魂
職人魂が1300年の“歴史”を持ち上げた-。5日始まった高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室解体。亀裂が入ったもろい石材をクレーンで持ち上げるという難作業を担う職人七人のチームを率いるのは、奈良市の石工左野勝司さん(64歳)だ。ガンを乗り越え、この日の一枚目の石を手始めに、全部で16枚、夏まで続く難作業に挑む。「生き延びたことへの感謝や。飛鳥美人も無事に取り上げたい」。石工50年の血が騒いでいる。
大腸がんで入院中の2005年4月、「高松塚の石室が解体できるだろうか」と文化庁関係者に打診され、答えた。
「人間が造ったものでしょう。可能性はあるんじゃないですか」
1988年には藤ノ木古墳(同県斑鳩町)の石棺のふたを開け92年からチリ・イースター島のモアイ像を修復した腕が買われた。
「しっくいを落とさず、振動も与えずに石を持ち上げることは不可能に近いけど、やってみようと思ったんや」。それ以来、モアイ像修復などで親交のある高松市の大手クレーンメーカー・タダノへ器具開発に通った。
「石に亀裂が見つかるたびに、安全に持ち上げられる器具を改良した。高松へはもう100回以上行ったかな。採算は関係ない。悔いの無い仕事をしたかったからや」
5日の解体現場には緊張感が張りつめた。
「宇宙に飛び立つ時代でも、1300年前の国民の宝を守るのは人間。コンピューターも使うけど最後は人間の目と勘や。それがぼくの仕事。若い職人にもしっかり見てもらいたい」
解体目前の今月1日、イースター島の長老会代表が高松塚古墳を訪れ「島民が成功を祈っている。モアイも忘れないで」とエールを送った。それが、大きな励みになったという。
(中日新聞より)
●引用終了●
最後まで読むと、どうやらイースター島から長老さんが日本にやってきてたみたいですね。応援をしに来ただけなのだろうか。。。ちと気になる。イースター島でそんな話が流れてないのだろうか・・・。
左野さんは、蘇我入鹿で有名な石舞台古墳の復元にも取り組んだスペシャリスト。最近、リクルートの「ホットペッパーグルメサイト」のCMでSMAPと共演したらしい。異色だ。一度、じっくり、モアイ修復の話を聞いてみたいなぁ。どっかで講演やる機会なんか無いだろうか。会いに行って話してくれるかな。今はそんな暇無いだろうけど^。^;気になる人物!!!
参考までに、石室解体の記事も載せておきます。同じく中日新聞から。
●引用開始●
飛鳥美人保存へ
高松塚解体
天井石取り外し開始
国宝壁画を修復、保存するため、国内で前例のない石室の解体を進める奈良県明日香村の高松塚古墳(七世紀末-八世紀初め)で、文化庁は五日、一枚目となる北端の天井石をつり上げ、取り外した。
「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像など極彩色壁画が見つかって三十五年。壁画を劣化させたカビに有効な対策を打ち出せず、文化庁が「現地保存」の大原則を転換、解体した石と壁画を十年かけて修復するプロジェクトが本格的にスタートした。文化庁の担当者は「石に大きな損傷はない。つり上げは成功したと思う」と話した。
石を挟む特殊な器具に固定し午前十一時半ごろ、クレーンでゆっくりつり上げ、約二十分かけて作業スペースへ移し、降ろした。金属フレームに固定して梱包(こんぽう)。午後に振動を吸収する装置を付けたトラックで、高松塚の北約五百メートルに建てた修理施設に搬送する。
北端の天井石は東西幅百六十センチ、南北の長さ百-百二センチ、厚さ四十七センチ。三カ所に亀裂が見つかり、北東角に沿ったV字形の亀裂は長さ五十五センチ。つり上げ時の振動などで欠け落ちたり、壁画を傷つける危険もあり、側面にナイロンのベルトを巻くなどして補強した。
解体のため開発した円周率記号のパイ形の器具を使い、計三十二本のボルトを一本ずつ手動で締め付け石を固定。欠け落ちそうな角の部分などは事前に外し、石の重さやバランス、ひずんだ時に出る音などを計測しながら慎重に作業を進めた。
開始前、解体を担当する奈良文化財研究所の肥塚隆保室長は「しっかり気を引き締めて取り組み、無事石材が上がることを祈る」と話した。
高松塚は天井と壁、床の石計十六枚を七月末まで四カ月かけて解体、すべて修理施設に運ぶ。二枚目は四月中旬、四神図「玄武」を描いた北壁を取り外す予定。
<高松塚古墳> 7世紀末-8世紀初めの円墳で直径約23メートル。1972年に「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像など極彩色の人物群像、四神図のうち玄武、青竜、白虎と天文図が見つかり、考古学ブームをまき起こした。漆塗り木棺と銀装の大刀飾り、海獣葡萄鏡(ぶどうきょう)など副葬品や人骨も見つかり、被葬者は40-60歳の男性で天武天皇の皇子クラスとする説が有力。壁画は国宝、墳丘は特別史跡に指定されたが、カビが発生し壁画の劣化が判明。2005年6月に石室の解体、修復が決まった。
(中日新聞より)
●引用終了●
●引用開始●
1300年の歴史 持ち上げた
モアイも修復 職人魂
職人魂が1300年の“歴史”を持ち上げた-。5日始まった高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室解体。亀裂が入ったもろい石材をクレーンで持ち上げるという難作業を担う職人七人のチームを率いるのは、奈良市の石工左野勝司さん(64歳)だ。ガンを乗り越え、この日の一枚目の石を手始めに、全部で16枚、夏まで続く難作業に挑む。「生き延びたことへの感謝や。飛鳥美人も無事に取り上げたい」。石工50年の血が騒いでいる。
大腸がんで入院中の2005年4月、「高松塚の石室が解体できるだろうか」と文化庁関係者に打診され、答えた。
「人間が造ったものでしょう。可能性はあるんじゃないですか」
1988年には藤ノ木古墳(同県斑鳩町)の石棺のふたを開け92年からチリ・イースター島のモアイ像を修復した腕が買われた。
「しっくいを落とさず、振動も与えずに石を持ち上げることは不可能に近いけど、やってみようと思ったんや」。それ以来、モアイ像修復などで親交のある高松市の大手クレーンメーカー・タダノへ器具開発に通った。
「石に亀裂が見つかるたびに、安全に持ち上げられる器具を改良した。高松へはもう100回以上行ったかな。採算は関係ない。悔いの無い仕事をしたかったからや」
5日の解体現場には緊張感が張りつめた。
「宇宙に飛び立つ時代でも、1300年前の国民の宝を守るのは人間。コンピューターも使うけど最後は人間の目と勘や。それがぼくの仕事。若い職人にもしっかり見てもらいたい」
解体目前の今月1日、イースター島の長老会代表が高松塚古墳を訪れ「島民が成功を祈っている。モアイも忘れないで」とエールを送った。それが、大きな励みになったという。
(中日新聞より)
●引用終了●
最後まで読むと、どうやらイースター島から長老さんが日本にやってきてたみたいですね。応援をしに来ただけなのだろうか。。。ちと気になる。イースター島でそんな話が流れてないのだろうか・・・。
左野さんは、蘇我入鹿で有名な石舞台古墳の復元にも取り組んだスペシャリスト。最近、リクルートの「ホットペッパーグルメサイト」のCMでSMAPと共演したらしい。異色だ。一度、じっくり、モアイ修復の話を聞いてみたいなぁ。どっかで講演やる機会なんか無いだろうか。会いに行って話してくれるかな。今はそんな暇無いだろうけど^。^;気になる人物!!!
参考までに、石室解体の記事も載せておきます。同じく中日新聞から。
●引用開始●
飛鳥美人保存へ
高松塚解体
天井石取り外し開始
国宝壁画を修復、保存するため、国内で前例のない石室の解体を進める奈良県明日香村の高松塚古墳(七世紀末-八世紀初め)で、文化庁は五日、一枚目となる北端の天井石をつり上げ、取り外した。
「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像など極彩色壁画が見つかって三十五年。壁画を劣化させたカビに有効な対策を打ち出せず、文化庁が「現地保存」の大原則を転換、解体した石と壁画を十年かけて修復するプロジェクトが本格的にスタートした。文化庁の担当者は「石に大きな損傷はない。つり上げは成功したと思う」と話した。
石を挟む特殊な器具に固定し午前十一時半ごろ、クレーンでゆっくりつり上げ、約二十分かけて作業スペースへ移し、降ろした。金属フレームに固定して梱包(こんぽう)。午後に振動を吸収する装置を付けたトラックで、高松塚の北約五百メートルに建てた修理施設に搬送する。
北端の天井石は東西幅百六十センチ、南北の長さ百-百二センチ、厚さ四十七センチ。三カ所に亀裂が見つかり、北東角に沿ったV字形の亀裂は長さ五十五センチ。つり上げ時の振動などで欠け落ちたり、壁画を傷つける危険もあり、側面にナイロンのベルトを巻くなどして補強した。
解体のため開発した円周率記号のパイ形の器具を使い、計三十二本のボルトを一本ずつ手動で締め付け石を固定。欠け落ちそうな角の部分などは事前に外し、石の重さやバランス、ひずんだ時に出る音などを計測しながら慎重に作業を進めた。
開始前、解体を担当する奈良文化財研究所の肥塚隆保室長は「しっかり気を引き締めて取り組み、無事石材が上がることを祈る」と話した。
高松塚は天井と壁、床の石計十六枚を七月末まで四カ月かけて解体、すべて修理施設に運ぶ。二枚目は四月中旬、四神図「玄武」を描いた北壁を取り外す予定。
<高松塚古墳> 7世紀末-8世紀初めの円墳で直径約23メートル。1972年に「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像など極彩色の人物群像、四神図のうち玄武、青竜、白虎と天文図が見つかり、考古学ブームをまき起こした。漆塗り木棺と銀装の大刀飾り、海獣葡萄鏡(ぶどうきょう)など副葬品や人骨も見つかり、被葬者は40-60歳の男性で天武天皇の皇子クラスとする説が有力。壁画は国宝、墳丘は特別史跡に指定されたが、カビが発生し壁画の劣化が判明。2005年6月に石室の解体、修復が決まった。
(中日新聞より)
●引用終了●
by kokoro-rokuro
| 2007-04-06 00:14
| ラパヌイ