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徒然に。イースター島&ボラボラ島旅行記がおすすめ!


by kokoro-rokuro
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辰巳芳子さん

「よその国に胃袋を握られてしまったら」。

毎日新聞夕刊に、料理研究家・辰巳芳子さんのインタビュー記事が掲載されていた。83歳。戦争を生き延び、食を通じて日本の行く末を案じている。若い世代の僕らに求められることは・・・。


●引用開始●

特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 辰巳芳子さん
 <おちおち死んではいられない>

 ◇食卓の危うさ、感じて--料理研究家・83歳・辰巳芳子さん

 ◇人間はものを食べた時、自分の命と呼応することを体感するものです

 古都、鎌倉は冬でも観光客が目立つ。寺に沿って小道を上ると、山に抱かれるように、辰巳芳子さんのお宅がある。ここで40年以上作物に囲まれ、家庭料理を発表してきた。畑のわきに咲いた黄色いスイセンが目をひいた。「食にとって、何が一番大切だとお考えですか」。そう問いかけると、辰巳さんは「あのねえ」と、しばらく考え込んだ……。

 お会いする前、近寄りがたい印象があった。以前、辰巳さんに「思い出の食べ物を紹介してください」と、30分程度の取材を電話で申し込んだことがある。日程が合わずに実現しなかったが、「そんな大事な話を短い時間でできるわけがないでしょ」との強い口調を覚えていたからだ。でも、それほどまでに真剣に食と向き合っている理由を、どうしても尋ねてみたかった。

    ■

 「……政治というものはね」。辰巳さんは話し始めた。「国民が生きやすい場をつくる責務があると思うんですよ。あの人たちは国民の命を預かっているという、当たり前のことに対する覚悟があるのかどうか。食料の自給率をここまで下げてしまって」。日本の食料自給率(カロリーベース)は1965年度は73%だったが、昨年度は39%にまで落ちた。「この島国で、よその国に胃袋を握られてしまったら、どんなことでも聞かなくてはならなくなる。そんな当たり前のことをまるで無視して」

 すでに胃袋は握られている、と言っていい。オーストラリアは06年の大干ばつで小麦の生産量が半減し、米国ではバイオ燃料用のトウモロコシを栽培するために大豆の作付けが減った。外国での食物生産量の減少が世界的に価格を上げ、日本の食卓をおびやかしている。食料事情の不安定さは、日本人がかつて経験してきたはずなのに。

 「戦争ね。耕す人、漁をする人、働ける人はすべていなくなった。我が家でも中2の弟までが戦いに出た。木の繊維の服を着て、カエルの皮の靴を履き、大豆のしぼりかすを米にまぜて食べました。戦後、ものは復活したけど、人は帰らなかった」

 辰巳さんは今、戦時中とは異なる食卓の危うさを感じている。作物の成長に影響を与える気候の変化、輸入作物を中心とした農薬、作物の遺伝子操作、旬を顧みずに一年中栽培される野菜……。また、「これだけ原子力発電所を増やして、もし核物質で土壌や海が汚染されたら、食物は形はあっても食べてはいけないものになる」と原子力政策も批判する。そんなこと起こるはずがない、と笑い飛ばせる人がどれほどいるだろう。

 食と命のつながりを身をもって体験しているから、こうも考える。「死にたくなかった若者の生命の代償こそが、憲法9条なんです」

    ■

 96年には「良い食材を伝える会」をつくり、品質がすぐれ、安全な農産物の紹介を始めた。日本産の大豆を増やす目的で04年に始めた「大豆100粒運動」では、年間に1万2000人の子どもたちが大豆をまいている。10年以上前に父親の介護体験から生まれた「いのちのスープ」の教室は、120人の主婦らを3年がかりで教え育てている。

 スープはさまざまな栄養を含み、母乳に最も近いと言われる。「人間というものは、命を養うはずのものを食べたとき、自分の命と呼応するということを体感するものですよ。良いものを食べて、自分の命が良い方向に向かっている、ああ幸せだという満足感。すると自分自身を信じられるの。そして、他の人を信じることにつながる。もし、自分を信じられなければ、足が一歩も前に出ないでしょ」

 信じる対象は、ものにも向かう。野菜、果物、肉、そして石や建築物まで。「人間はものに養われて生きている。それなのに、いつの間にか、ものより優位な存在であるという錯覚に陥っている。そう気付けば、ものや自然に対する深い感謝と慎みの気持ちが生まれてくると思います」

 ものの命をいただく代わりにその命を生かす。それが辰巳さんの掲げる料理なのでは、との思いがしてくる。

 辰巳さんは、食への覚悟をこうも記す。<すべての民族が、それぞれ生きていきやすいように取捨選択して食の方法を築いてきた。それが食文化です。だからあだやおろそかなことで食文化が形成されたわけではないのです>(「味覚旬月」より)

    ■

 「最近、大食い番組やっているじゃない。あれはおごりね。時代錯誤ですよ」と、辰巳さんが思いついたように話した。うなずきながら、「では、三ツ星で知られるミシュランの評価は」と尋ねた。「おいしい、まずいの視点では時代遅れね。ものの世界に対して誠実か否かを調べたらいいんじゃないですか」

 次代に豊かな食生活を引き継ぐために、さまざまな著書も出してきた。執筆の時間をつくるための工夫が「展開料理」と呼ばれる手法である。「例えば、菜っ葉をまとめゆでして、最初はおひたしにして食べたら、翌日はオムレツにするとか。ふろふき大根を作り置きすれば、みそ汁、おでん、グラタン、甘酢漬けなど、さまざまな料理に応用できる。だし汁も使うときにひくのではなく、まとめてつくっておけばいい」

 すべて一から頑張る必要はないんですね。うちの妻も安心します。「そうよ。私は特別なことをやってるわけじゃないの。料理は家事全体の一端なんだから、ほかの家事や自分の趣味にあてる時間や能力との調和が保たれないと。合理性も大事」

 お米、実だくさんのみそ汁、たくあん、梅製品。辰巳さんが日本人の健全な食を守るために挙げた食品だ。「単純でしょ。こういうものを食べておけば間違いない。でも、それぞれが国産無農薬の本物の材料でつくられたものでなければ。そして、ものの味をきちんと引き出せるように作る。簡単に聞こえるでしょうけれど、難しいことよ」

    ■

 命の根源である食に妥協しない。日常を大切にするから主婦の目線を失わない。辰巳さんは2時間近く、背筋をぴんと伸ばして食を語った。その存在は大きく、同時に身近に思えた。【坂巻士朗】


 ■人物略歴

 ◇たつみ・よしこ

 1924年東京都生まれ。聖心女子学院卒。家事差配の名手として知られた母浜子さんにつき料理を学ぶ。フランス、イタリア、スペインで修業。著書に「慎みを食卓に」(日本放送出版協会)、「家庭料理のすがた」(文化出版局)など。

毎日新聞 2008年1月25日 東京夕刊


●引用終了●


食料自給率の低下が叫ばれて久しい。ときどき耳にするが、気にするのはその時だけ。もしかしたら、わざと気づかない振りをしているのかもしれない。「胃袋を握られたら」。ほんの少し考えただけでも、ぞっとする。違和感を覚えながら見ていた大食い番組。うん?と思っていた感覚は、やはり正しかったようだ。

世界には食事にありつけない人がたくさんいる。コンビニやレストランから大量に出る残飯や、食料であるトウモロコシをバイオ燃料とすることに違和感を覚えるのは、正常な感覚なんだろうと思う。

一方で、田舎暮らしがブームになっている。団塊の世代ばかりでなく、新規就農する若者も多いようだ。ブログでも良く見かける。無意識のうちに、本能が行動させているのかも。。。「自分の食べるものは少しでも安全なものを」「食べる分ぐらいは自分でまかなえるように」。そんなことを思わずにはいられなかった。

食料の争奪戦が起こる前に。食のプロ、辰巳さんの警告に、危機感を感じずにはいられなかった。「食育」という言葉がもてはやされているが、この記事を読んでその大切さを良く理解できたと思う。まずは「ものや自然に対する深い感謝と慎みの気持ち」を持つことから始めなければ。目から鱗だった。
by kokoro-rokuro | 2008-01-26 01:00 | 徒然なるままに